2012年4月30日月曜日

辰野町の双体道祖神(7)

国道153号線「羽場」交差点の近く、明治3年(1870)の道祖神です。男神が手にしている盃に「壽」文字が刻まれています。像の上部に日・月。












上の像からやや下って行くと、下村の辻に出ます。ここにさらに古い道祖神が一体。









JR飯田線羽場踏切を越え、天竜川を渡ったところが辰野町下田の集落。上部に日・月。









同じ集落の別の場所。こちらは上の物よりもぐんと小ぶりのものですが、二人で巻物を持つ姿で描かれています。












道を挟んで反対側、こちらも下田集落の道祖神。二人で持つ巻物に「天与是」と刻まれているようです。上部に日・月。









万五郎の辻。鶴と亀が刻まれた双体道祖神。万延元年(1860)の物です。

2012年4月20日金曜日

辰野町の双体道祖神(6)(沢底の追加)

日本最古の双体道祖神といわれる像がある長野県上伊那郡辰野町沢底。花見客のバスの列をしり目に、曇天をおして思い立ったまま出かけました。
まずは、仲組(?)の沢底公民館近くに二体あるうちの一体。古い方の道祖神です。手を握り合い、心持男神が微笑んでいるようでもあります。












その隣にある、やや新しい道祖神。













ここから山の中に入って「岩花」という所に行きます。沢沿いに狭く続く階段状の耕地の跡を見ながら、狭い道を登ることしばし、はやしの中に隠されるようにして道祖神がありました。軽自動車で行ってよかった。











  車を戻してさらに道を取り、「鴻の田」という集落の入り口。まず目に付くのは小高い岩肌をうまく使いそなえられた石造物の群れ。その中に岩の窪みに置かれた双体道祖神。











さらに、こちらは「嫁入り」という盗難防止のためか、岩肌に直に掘られた磨崖の双体道祖神。








  鴻の田の集落のはずれにもう一体。
















2012年4月16日月曜日

馬鳴菩薩・蚕神様(辰野町上野)

  陽気も暖かくなってきました。昨日は、33年ごとに一度の御開帳に出かけましたが、今日はその勢いで、久しぶりに双体道祖神を見に出かけることとしました。目的地は長野県上伊那郡辰野町。
辰野町平出の信号機から諏訪方面に行くことしばし、「上野」という集落があります。ここに双体道祖神があるわけですが、例によって下調べもせず行き当たりばったりですので、一体は何とか見つけることができましたが、ほかは見過ごしてしまいました。
その代り、何とも立派な「蚕神様(馬鳴菩薩)」を見つけました。馬に乗る女神様です。
『図説佛教語大辞典〔馬鳴菩薩〕』によると、「蚕神ともいい、養蚕の神で、貧しい人々に衣服を与えるとして尊崇される菩薩。中国の民間信仰に由来するものとされ云々」という解説がありました。
平地の少ない山間の村でこそ、蚕の無事な成長が生業の中心ともいえるものでした。そうした祈りが、立派な蚕神様の建立につながったものといえるかもしれません。

2012年4月15日日曜日

宇津木の薬師堂(伊那市長谷杉島)

高遠の小彼岸桜の開花が昨年よりかなり遅く、今か今かと待ちかねているところに、伊那市のメールによるお知らせで「宇津木の薬師堂で33年に一度の御開帳」というのがあった。
  ところで、宇津木の薬師堂……?
ということで、『木ノ下蔭』

  「一 市瀬より南十町餘ゆき薬師堂ありうつぎ薬師といふ山中の堂にはめづらしき丁寧の普請なり此薬師を戸倉の薬師ともいふ諏訪の萩倉上伊那の七倉この戸倉にて三倉薬師同木を以て同作佛體霊験他に異るよしいひ傳ふ祭三月八日近郡より参詣して群集す堂前の額福地随流筆なり卯木村は杉島の枝村なり
一 別當長福山法恩寺曹洞宗龍勝寺の末なり扶岩策和尚天正十七己丑年開基なり本尊は阿彌陀如來」
ということらしい。本年4月15日の今日が、33年ぶりの御開帳の日。
  山の中の小さなお寺。
  臨時の駐車場に車を入れ、待つこと10分。シャトルバスと称する10人乗りのハイエースに乗車して待つことさらに10分。下りの車が駐車場に着いたことを確認してから発車オーライ……要は、普通自動車がすれ違いすることができないのです。徒歩で30~40分位だそうです。少しずるをしました。
秘仏ではありますが、撮影しても良い、とのこと。何とも言えず、素朴な仏様でした。
  次は33年後、
  良縁を得られる仏様だそうです。