2013年1月23日水曜日

北辰霊符三尊像(霊符尊神(長野県上伊那郡辰野町))



  上伊那郡辰野町上辰野の堀上。山間を縫うように国道153号線とJR中央線西線、そして生活道路が走っていますが、その道路と鉄路を見下ろすような土手の上に、木造りの簡単な鳥居、その奥の小さな祠の左右に石碑が並んでいます。
  左側に大黒様と甲子の文字碑、それに蚕神様。右手には恵比寿様と何やら解らないが三人の神様のような石像。


  
  左側面に「明治七年甲戌七月廿八日」と刻んであります。1874年の造立です。像の周囲には八卦の文様。主神の足の下には亀と蛇が刻まれています。脇に立つ神様(?)も普通に見ることが出来る佛像の持ち物とは違ったものを持っています。
  この像については、竹入弘元氏の『上伊那の石仏』にも記述がありません。不思議な石像です。
  2017年7月、やっと『辰野町の石造文化財』が、辰野町文化財保護審議会の編集によって発行されました。これによると、この像の名前は「北辰霊符三尊像」(霊符尊神)と記されています。とすると、中央が霊符尊神、脇侍は抱卦童子と示卦童郎のお姿が刻まれていることになります。
  なぜこの場所に、このような像があるのかはわかりませんが?

2013年1月3日木曜日

宮田村の双体道祖神 ③

北割 長谷川橋の辻
  残念なことに建っている向きが概ね北向きですので、絶えず逆光になってしまいます。平成12年(2000)頃に現在地に移動された、とのこと。
北割 集落センター東
  享保18年(1733)の双体道祖神。
北割
  平成4年(1992)。まだまだ新人です。
北割 井ノ口の辻 「万歳!」をする道祖神
  面白いことに、男神女神とも両手を上げて「万歳!」をしています。信州人が集うと、最後には必ず万歳三唱で締める、とのこと。昔からそうだったのか……?










北割
  風化が激しく、ところどころコンクリートでの補修の跡があります。

2013年1月1日火曜日

宮田村の双体道祖神 ②

南割 庚申原の辻
  多分近在の庚申塔や石碑が集められたのかもしれません。コンクリートの上に整然と並べられた群の中にありました。男神は旅姿の合羽のようなものを羽織っています。中央に 剣の形の浮彫があり日付が彫ってあります。
新田 上の宮 
  三叉路に数体の馬頭観世音と共にありました。 風花が激しく、一部コンクリートのようなもので補修の跡があります。
南割 
  南割集落センター近くの交差点を南に下った三叉路の藪の中に隠れるようにありました。
新田 
  西部広域農道沿いの行者橋の辻。役行者像などの中に建っています。風化のため明瞭ではありませんが、両神とも合掌しているようです。
南割 
  集落の中の若干狭い道沿い、西向きに立っていました。隣に小さな祠があり、中に観音様と思われる石仏が安置されていました。