2013年7月23日火曜日

甲子待と大黒様

 干支の始めは「甲子」…きのえね です。人生60年、生まれ年の干支(えと)に再び巡り合えるのは、本当に幸運の極み、その巡りあわせを祈念して石塔(石碑)をみんなで力を合わせてたてようか、ということで建てた……
と、軽く考えていました。実は昭和59年が甲子の年。私たちの町内でも子供たちが石碑に結んだ綱を引き町のはずれに運んで建てた記憶があったからです。
 それにしても庚申碑と同じように、この辺りでは庚申碑がある所に必ずと言ってよいほど甲子碑があります。それも同じ数程。
 というわけで、地元の『伊那谷の石仏』(竹入弘元著)をひろげて見ると、この地域に数例の甲子講が残っていることが記されていました。
 さて、甲子といえば「大黒天」。安曇野の双体道祖神は大黒天とペアで祀られているのが多いのですが、伊那谷伊那の平では、大黒天の文字碑はあっても、像に刻まれたものはあまりありません。
こちら、駒ヶ根市下平 天台宗長春寺というお寺の境内。四角柱の中に彫り込まれた大黒天の像です。文化元年(1804)のもの。右手に打出の小槌を持ち左手で袋を担ぎ俵に乗ったお姿です。
辰野町堀上 JR中央線辰野駅から塩尻駅に向かう線路の近く、丘の上に蚕神やもろもろの石碑石像の中に、かなり目立つ大黒様です。元治元年(1864)の建立。











 大黒様といえば恵比須様。上の大黒天とペアのように、向かって右、少し離れたところに置かれていた「恵比寿様」の像です。明治6年(1873)の建立です。