2019年11月23日土曜日

大山祇命おおやまつみのみこと像(石神像)

   片袖を脱ぎ、左右の手で斧を振り上げ、両足でしっかりと大地を踏みしめ、今にも大木を切り倒そうとしている。大山祇尊の石像です。よく見ると、目と口元に彩色を施した跡が残っています。
 大山津見神。『大日本神名辞書』によると、「此神は山を持ち司り給ふ故に負ひ給ひし御名なり大といへるは総へてを持ち給ふを讃へての御名なり伊邪那岐伊邪那美二神の御子なり」とあって、山の神を統べる神であることが知られます。
 安置してあるのは、高く遠く飛ばすことができるゴルフ寺。伊那市高遠の荊口にある弘妙寺。本堂の裏に不動明王と並んでおられます。このお寺はパワースポットとしても有名なのか、山奥にもかかわらず、今日も大勢の車が駐車場に並んでいました。
 石仏ではなく、石に掘られた神像はこのあたりでもあまりお目にかかれません。自然石に名前が彫られているのは、少しではありますが見かけることはありますが……
 

2019年11月11日月曜日

よく見ると双体道祖神


  伊那市手良蟹澤という集落に「産泰宮」という 小さな社があります。『民間信仰辞典』によると、「産泰様」というのは、「埼玉県西部・群馬県を中心に分布する子授け・安産祈願の対象となる神」とありますが、この手良という地区には、ここともう一ヵ所「中坪」という集落との二ヵ所でこの産泰宮をお祀りしています。何故この手良地区に産泰宮が祀られているのか。それは、江戸時代、手良から旅稼ぎに行った石工が勧請したのではないか、と言われていますが、詳しいことはわかっておりません。中を覗くと、向かって右側に木造の小̪祠、左に乳幼児を抱いた地蔵菩薩が安置されています。
 この産泰宮の裏手、民家へと続く道の入口の所、左の写真はグーグル・ストリートの写真ですが、中央あたりに見える大きな石、その表面に微かに二体の人物が見えます。
 




 『伊那市石造文化財』という本にも紹介されておらず、何度となくカメラ持参で行ったことがありますが、今回初めて気が付きました。風化して誰も気づかなくなってしまったのか……

 カメラに収め、家に帰って何度となく見ても、双体道祖神としか思えません。もしそうだとしたら、今まで気付かなくてごめんなさい……



 左の写真は、「産泰宮」に安置されている地蔵菩薩です。「産泰宮」のお祭りについては、
   http://www.kagakueizo.org/create/visualfolklore/515/
に動画があります。

2019年4月6日土曜日

タカトオコヒガンザクラ2019(その4)

風も緩やかに吹き、暖かな一日でした。近くの図書館に行くと、ここでも桜の花が咲いていました。そういえば、高遠城址公園も「本日桜が開花しました…」 と 高らかに放送していました。
  観光バスもちらほら、臨時駐車場にも車が止まっています。これから喧騒がはじまるのですネェ……

2019年4月4日木曜日

タカトオコヒガンザクラ2019(その3)

昨日は近くの小学校の入学式。今朝は、子供たちが元気に集団登校していく姿を見送りました。
  風は少し冷たく感じましたが、新年号の事を考えながら散歩をしました。今日の桜の様子です。奥に見える山は、赤石山脈の仙丈岳です。
ライブカメラはこちらです。
https://ina-dani.net/live_cameras/show/2?id=2

2019年4月2日火曜日

タカトオコヒガンザクラ2019(その2)

昨夜、雪が降り始めました。左の写真は今朝5時半くらいの様子です。屋根の上、土手のあたりにうっすらと雪の残っているのが見えます。
  県外のナンバーを付けた車が、近くの道路を走っていましたが、思いのほかの寒さに戸惑っているのでは、と 気の毒になりました。
  風が強く吹いています。でも、花たちは「令和」の逆風に負けずに、確実に膨らんでいます。(「令和」がいけないというのではありません。)

2019年3月31日日曜日

タカトオコヒガンザクラ2019(その1)

ときおり日差しが見えるものの、一日を通して冷たい風が吹き、その風にのって風花まで舞うような陽気の中、高遠小学校の桜は頑張って咲き始めました。
  上の写真の右下に見える花の塊を発見したのが3月26日、まだ4~5輪ほどでした。その後気温はあまり上がりませんでしたが、それでも少しづつではありますが、花芽が動いているのがわかります。
  高遠城址公園は、当然ここより標高差があるので(60mほど)、公園開きはしたものの花はまだまだこれからだと思いますが、そう遠からず、といったところでしょう。
「もうすぐは~るですね!!」
ライブカメラはこちら
https://ina-dani.net/live_cameras/show/2             

2019年1月5日土曜日

堅窂地神尊 (伊那市高遠町番匠)

      伊那市高遠町の「さくらの湯」から西の方角に、やや平坦ではあるが鉾持神社の 石垣に続く道が井筋に沿って延びている。歩く事5分ほどで井筋をはさんで北側に、ベンチが置いてある小さな公園(?)があり、そこに件の石碑がある。碑文は「堅窂地神尊(尊字は下部が不明)」。高さは1m50cm強。建立年等の銘は無し。
『佛教語大辞典』(中村元著)には、
  堅牢地神また堅牢地祇・堅牢地大ともいう。大地の神をいう。地神。この神は大地を堅固にたもつから、こうよばれる。また、常に教えが流布するところにおもむいて、法座の下にあって敬い守るという。もと女神であるが、密教では男女の二神があって、胎蔵界曼荼羅外金剛部院に属している。
と記述されています。
  さて、現場は下の写真で見る通り背後に山を控えた、南に面した急傾斜地の中段にあります。横一列に並ぶ住宅の前に、1850年(嘉永3)完成の一番井筋が流れています。この井筋の、また、この土地の堅固を願うために建立されたものでしょうか。