杖突街道の藤沢北原集落の入り口に、数基の石碑があるが、中の一基、明暦2年(1656)銘の庚申塔がある。
長野県上伊那地方にある庚申塔の中ではもっとも古いものであるといわれている。
明暦2年は丙申の年で庚申年ではないが、申年ということで建てられたのではないか・・・・・
2010年9月27日月曜日
2010年9月22日水曜日
安曇野の双対道祖神(1)
娘が安曇野に住むことになったので、妻と二人新居のアパートに出掛けました。お昼を食べに行こうということになり、娘の旦那の運転で出発するとすぐ目にとまった道祖神。「止めて、止めて!」と一枚二枚、写したのが左の道祖神。天保4年(1833)銘の像。
大きさは80cm×80cm位。台座が1m位の堂々とした像です。女神は跪き右手に酒器を持ち立ち姿の男神の右手を握っている様子。男神の左手に持たされているのは笏のようでもあります。
昼食も終わり、「ちさと美術館に行こうよ」、と妻が言い出し、それではとかねて念願のちさと美術館へと向かう途中、止めて、止めてと写したのが彩色が施された道祖神。場所は穂高上原というところ。消防の火の見をバックに道祖神、青面金剛とうの石造物が数基。
文政7年(1824)銘の彩色道祖神。互いに肩を組み、手を握り合っている姿も微笑ましく見えます。
その隣、こちらは文政7年(1824)銘の青面金剛像。足下に「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿。上部に日月。一面六臂。左上手は輪、左下手は弓、右上手は棒、右下手は剣であろうか。
美術館の所在地松川村に入るとすぐ、「止めますか?」「お願いします」で写したのが大黒様と並ぶ道祖神。
こちらは天保11年(1840)銘の雲に乗り肩を組む男女の姿。男神は左手に盃を持ち、女神が右手の酒器で酒を注ぐ形。
大きさは80cm×80cm位。台座が1m位の堂々とした像です。女神は跪き右手に酒器を持ち立ち姿の男神の右手を握っている様子。男神の左手に持たされているのは笏のようでもあります。
昼食も終わり、「ちさと美術館に行こうよ」、と妻が言い出し、それではとかねて念願のちさと美術館へと向かう途中、止めて、止めてと写したのが彩色が施された道祖神。場所は穂高上原というところ。消防の火の見をバックに道祖神、青面金剛とうの石造物が数基。
文政7年(1824)銘の彩色道祖神。互いに肩を組み、手を握り合っている姿も微笑ましく見えます。
その隣、こちらは文政7年(1824)銘の青面金剛像。足下に「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿。上部に日月。一面六臂。左上手は輪、左下手は弓、右上手は棒、右下手は剣であろうか。
美術館の所在地松川村に入るとすぐ、「止めますか?」「お願いします」で写したのが大黒様と並ぶ道祖神。
こちらは天保11年(1840)銘の雲に乗り肩を組む男女の姿。男神は左手に盃を持ち、女神が右手の酒器で酒を注ぐ形。
2010年9月3日金曜日
青曽大権現
カメラ片手にウロウロしていると、たまに不明な石造物に行き当たることがある。
以前、「雨虫大明神」なる自然石半肉彫りの石造物を紹介したが、昨日、またまた写真の石碑に遭遇した。
正面中央に「青曽大権現」と彫られている。明治7年の建立。願主は卯年女とある。
青曽大権現 とは如何。
場所は長野県伊那市蟹沢という集落の路傍。
不思議な名号である。
以前、「雨虫大明神」なる自然石半肉彫りの石造物を紹介したが、昨日、またまた写真の石碑に遭遇した。
正面中央に「青曽大権現」と彫られている。明治7年の建立。願主は卯年女とある。
青曽大権現 とは如何。
場所は長野県伊那市蟹沢という集落の路傍。
不思議な名号である。
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