20数年以前、営業であちこち団地を歩いているとき、ある団地の片隅に、ちょっと恐ろしい話のあるお地蔵さんがあった、なァ・・・・・という不確かな記憶を頼りに車を走らせていると、目についた団地がありました。駐車場があったので車を止め周りを見ると、石段の上に小さな建物が。もしかしたら・・・・・
可愛いお顔をしたお地蔵様でした。
求めていたお地蔵様ではありませんが、暖かな陽を浴びて心地よさそうでしたので、写しておきました。
いわれを書いた看板がありましたので、ご覧ください。
長野県上伊那郡箕輪町長岡という所にあります。
2011年2月28日月曜日
2011年2月18日金曜日
浅間温泉の道祖神(続報)
昭和の道祖神を巡っている間に、古い道祖神に巡り合えることもあります。
浅間温泉、歩いて最後に近く御射神社春宮。かつて辻々にあった道祖神を三体安置したという、その一つ。寛政11年(1799)の双体道祖神。風化しているとはいえ堂々とした自然石に家形の彫り物。
もう一体は、宝暦7年(1757)のもの。多分女神の頭の部分が欠けてはいるが、女神が酒器を、男女の間に三方のようなものが見える。
浅間温泉、歩いて最後に近く御射神社春宮。かつて辻々にあった道祖神を三体安置したという、その一つ。寛政11年(1799)の双体道祖神。風化しているとはいえ堂々とした自然石に家形の彫り物。
もう一体は、宝暦7年(1757)のもの。多分女神の頭の部分が欠けてはいるが、女神が酒器を、男女の間に三方のようなものが見える。
2011年2月10日木曜日
「昭和の双体道祖神」(信州松本浅間温泉)
2月8日 奥さんのお供で、松本市の浅間温泉に行ってきました。と、いっても温泉に用事があったわけではなく、「浅間温泉文化センター」という施設で行われた研修会に奥さんが出席、その足代わりにたまたま休みだった私がくっついていった、というのが真相です。したがって研修会が終わるまでの約5時間強という時間つぶしに挑戦することとなりました。
現地に着いたのが11時前。少し早いけど昼飯にでもしよう、ということで、センターの駐車場に車を置き、浅間温泉のメインストリートを歩いてみたけれど、営業しているのはローソンだけ。仕方がない、やまびこ道路を松本方面に歩くことしばし。・・・・・なにもない!!
・・・・・あった、あった道祖神。
食事ができるところを探していたのが、道祖神(①)を見つけてしまい、パチリ・・・
浅間橋東という信号機交差点です。1978年(昭和53)建立とありました。
そうこうしているうちに11時30分。
「そういえば、さっきチラッと見た蕎麦屋さん、11時30分開店だったよね。」
「じゃあ、戻って蕎麦屋に行くか」
ということで、また反対側を歩いていくとすぐ目についたのが「川島芳子旧宅跡」という案内板。旧宅跡ですから勿論当時の建物などありません。
「いまどき、川島芳子なんて知っている人はいないよ」
などと思いながら蕎麦屋へ。途中道祖神一体。
そばを食べ、「こちらが近道だよ」と抜けた公園に道祖神が一体。今日の時間つぶしが決まりました。
文化センターに戻り、案内所の係りの方に「この辺の案内図はありませんか。例えば、古いお寺とかの・・・」
「じゃあ、こちらをどうぞ」
ということで、いただいた地図をもとに散歩を始めました。
②横町 薬師堂 1978年とあります。同じ場所に「本洲中央の碑」という碑もあります。
③浅間温泉会館「ホットプラザ浅間」足湯の横 1978年
④湯坂・湯の街通り分岐の辻 1979年 こちらは温泉につかる姿で刻まれています。
⑤湯の街通り・山の手通りの辻 1978年
ここから急な山道に入ります。
⑥不動院に登る道脇 1979年
⑦湯薬師庭 1979年
⑧「倉下の湯」近くの辻 1978年
⑨神宮寺参道の辻 1979年 脇に守屋貞治作になる石仏「延命地蔵尊」がありました。
⑩御射神社前の辻 年不明
以上、「浅間温泉散策マップ」のウォーキングコースに準じて歩いてみました。案内では、所要時間1時間乃至1時間30分とあります。写真を撮ったり、好奇心の赴くまま歩いたりで約3時間つぶすことができました。
特に、明治初年に起きた廃仏毀釈の荒波の中で取り壊された寺院の数の多いことに驚かされました。中には復興されたものもあり、また、○○堂という形で再建されたものもありましたが、さなかに流出した寺寺の宝物の運命はどうなったのでしょう。
現地に着いたのが11時前。少し早いけど昼飯にでもしよう、ということで、センターの駐車場に車を置き、浅間温泉のメインストリートを歩いてみたけれど、営業しているのはローソンだけ。仕方がない、やまびこ道路を松本方面に歩くことしばし。・・・・・なにもない!!
・・・・・あった、あった道祖神。
食事ができるところを探していたのが、道祖神(①)を見つけてしまい、パチリ・・・
浅間橋東という信号機交差点です。1978年(昭和53)建立とありました。
そうこうしているうちに11時30分。
「そういえば、さっきチラッと見た蕎麦屋さん、11時30分開店だったよね。」
「じゃあ、戻って蕎麦屋に行くか」
ということで、また反対側を歩いていくとすぐ目についたのが「川島芳子旧宅跡」という案内板。旧宅跡ですから勿論当時の建物などありません。
「いまどき、川島芳子なんて知っている人はいないよ」
などと思いながら蕎麦屋へ。途中道祖神一体。
そばを食べ、「こちらが近道だよ」と抜けた公園に道祖神が一体。今日の時間つぶしが決まりました。
文化センターに戻り、案内所の係りの方に「この辺の案内図はありませんか。例えば、古いお寺とかの・・・」
「じゃあ、こちらをどうぞ」
ということで、いただいた地図をもとに散歩を始めました。
②横町 薬師堂 1978年とあります。同じ場所に「本洲中央の碑」という碑もあります。
③浅間温泉会館「ホットプラザ浅間」足湯の横 1978年
④湯坂・湯の街通り分岐の辻 1979年 こちらは温泉につかる姿で刻まれています。
⑤湯の街通り・山の手通りの辻 1978年
ここから急な山道に入ります。
⑥不動院に登る道脇 1979年
⑦湯薬師庭 1979年
⑧「倉下の湯」近くの辻 1978年
⑨神宮寺参道の辻 1979年 脇に守屋貞治作になる石仏「延命地蔵尊」がありました。
⑩御射神社前の辻 年不明
以上、「浅間温泉散策マップ」のウォーキングコースに準じて歩いてみました。案内では、所要時間1時間乃至1時間30分とあります。写真を撮ったり、好奇心の赴くまま歩いたりで約3時間つぶすことができました。
特に、明治初年に起きた廃仏毀釈の荒波の中で取り壊された寺院の数の多いことに驚かされました。中には復興されたものもあり、また、○○堂という形で再建されたものもありましたが、さなかに流出した寺寺の宝物の運命はどうなったのでしょう。
2011年2月6日日曜日
粘土で作った双体道祖神
登録:
投稿 (Atom)