2011年11月16日水曜日

咳の地蔵様二題

 こちら、伊那市高遠町の香福寺というお寺の本堂への登り口にある、「咳の地蔵堂」内のお地蔵様。享和2年(1802)に蛙鳴という人が書いた説明文があるそうです。その中に「せき症の者は必ず南蛮を奉り祈願を成せば忽ち報い給ふ(堂前の説明板より)」とあるそうです。






   次は、上伊那郡飯島町田切にある「関の地蔵尊」。昔武田信玄が伊那地方を制圧したときに、この地に関所を設けたから「関」というのだそうです。「セキ」だから咳を治してくれるお地蔵様、ということになったそうです。  姿が普通のお地蔵さまとだいぶ異なるので、近くにマリア像に似た観音像があることから、「マリア地蔵では」(雑誌『伊那路』昭和50年)と言われたこともありました。が、実はこの石像は地蔵様ではない、という話が『飯島町の石造文化財』という本に載っていて面白い。江戸時代の木喰行者、木喰但唱がモデルとのこと。寛文10年(1670)の建立だそうです。

安曇野の双体道祖神(5)

  何かついでがなければ行けない、中途半端な距離に安曇野は位置します。したがって、一度におさめることができる枚数も限られてしまいます。
さて、国道147号線「本吉」交差点を東に歩きます。吉野神社、県立安曇野高校の校舎を過ぎてしばらく、右側に赤い屋根のお堂と立派な銀杏の大木が見えてきました。標識に「吉野荒井堂の大銀杏」「安曇野市指定文化財」とあります。
  そのお堂の東向いの四辻にお目当ての双体道祖神がありました。裏に銘があり、天保14年(1843)の建立であることがわかります。











というわけで、今日の収穫に喜び、カメラを構えた人も来たので、とりあえず来た道を戻ることにし、しばらく歩いたところで、田舎でも珍しい小さな郵便局に出会いました。民家の離れのような特定郵便局です。何となく記念に一枚・・・・・

2011年11月5日土曜日

役行者像(長野県上伊那郡宮田村)

  何度も何度も通っている道である。ところが見過ごしてしまう。
「伊那中部広域農道」と呼んでいる道。辰野町から飯田市へとつながる、天竜川の西側山麓をぬうように走る道。その道の宮田村と駒ケ根市の境のあたりに、十数基の石碑群があり、ひときわ大きくその像がある。高さ約2m程の自然石を刳りぬいた祠。その中に「役行者」の座像が収められている。
像は寛政8年(1796)、祠は文政13年(1830)の建立とのこと(『宮田村の石造文化財』)。
行者像、荒く削ってあるのか、持物は不明。頭部及び顔立ちはきれいに残っています。駒ケ岳を中心とする山岳信仰の遺物です。