亡父は、石川県小松市の生まれ。立命館に入学したところで学徒動員により満州に送られた。そして敗戦。衛生兵であった父はそのまま中国に留められた。医療技術者として八路軍の病院に勤務した。孫呉もしくは北安というところである。
昭和27年(1952)7月に病気がちであった父は他界した。私が4歳の時である。その1年後に母と二人で引き揚げてきた。
折しも、閣議決定により日本が戦争を行使できるよう憲法の解釈を変えた日、20数年ぶりに父の墓に詣でた。父が死んで62年の歳月が経った。
もしかしたら、黒龍江の凍土になっていたかもしれない。あるいは、日本人などという族生をとうに捨てていなければ生きていけなかったかもしれない。そんなことを知る由もない人々が勝手に英知の象徴である憲法の解釈を変えてしまう………
帰りがけに車を止めていた脇の草むらを見ると、六地蔵がこちらを向いていた。その脇に、完全に草むらに隠れるようにもう一体の石仏………
風化しても、石仏は百年二百年、あるいはそれ以上にこの世の中に残り、人の営みを見続けていく。あと10年・20年後の日本はどうなっているのだろう。