2012年5月28日月曜日

ぼたん寺 遠照寺(伊那市山室)

   細君と久々に休日が重なり、リクエストに応じて、車で10分程の所にある遠照寺というお寺に出かけました。今が盛りと咲いているはずの「ぼたん」を見に行こう、というわけです。
   お寺に着くと、なるほどたくさんの駐車車両。神戸ナンバーの車まであり、「有名になったのねエ・・・・・」と、感慨も新たでした。花の時期は少しずれてしまったようですが、それでも盛んに咲いていました。








   山門を入ったところで拝観料を払い(この時期だけ有料です)、少し行くと左側に「聖徳太子」(?)の石像。左手に持っているのは宝珠でしょうか。












   さらに少し登ると珍しいお地蔵様がありました。左手に「幼児」(?)を抱え、右の腰のあたりに合掌する子供の肩に手を置く姿。不思議な安堵感を覚えます。











   さらに、こちらのお寺には、国指定重要文化財(旧国宝)の「釈迦堂」があり、その堂内にこれも国指定重要文化財(旧国宝)「多宝塔」があります。自然光で写しました。
   久々に、のんびりした休日でした。
帰途、週に一度お豆腐などをお願いしている「豆腐工房まめや」さんに立ち寄り、がんもどきと、おからで作ったお菓子類を購入しました。お店に行くのは初めてでしたが、心がホコホコしながら家路につきました。

2012年5月24日木曜日

辰野町の双体道祖神(8)

辰野町北大出という所に祀られている、双体道祖神です。
  「鞍掛」という所の辻にある道祖神。大福餅を据えたような石の中央に男女の二神が肩を組み握手をしています。幼顔のようでもあります。







「多屋小路」というところの双体道祖神。祝言の形。













「上垣外(?)」という所の双体道祖神。上部に日・月が刻まれていますが、中央にあるのは何かよく分かりません。












これは、「神明社」という社の前にありました。見た通り細かい細工が施されています。雲の上に乗る祝言の形。上部に日・月が刻まれています。











「三ツ谷公民館」の近くの辻にありました。残念ながらかなり壊れております。隣にやはり壊れた石像の一部らしきものもありましたが、それがこの双体道祖神のものであるかどうかは、定かではありません。
  近くを電動車椅子に乗った高齢の方が通りかかったので話を伺ったところ、これがこの地区の双体道祖神だ、と、おっしゃっていました。







2012年5月23日水曜日

朝鮮王朝時代の石像(文官像)

伊那市高遠町の市営図書館分館。正面石垣の一段高い所に、件の石像があります。








近寄ってよくよく見ると、どうも日本の石像ではなく、異国情緒を醸し出しています。そこで、図書館の職員に聞いたところ、由来がはっきりとしません。お話によると「多分・・・・・
  近くに「高遠美術館」というのがあり、そのもととなる「原田コレクション」を蒐集された原田政雄さんが、絵画等と一緒に旧高遠町に寄贈された中にあったものでは・・・・・
とのこと。




斜め横から見るとこんな感じでした。何かの写真で見た、朝鮮王朝の文官の像のようのも思えるのですが。
  最近、妻女が御多分に漏れず韓ドラに凝っておりまして、像を見ているとなんとなく親しみが湧いて来るようです。

2012年5月12日土曜日

ふなどの神(伊那市殿島・上伊那郡辰野町)

  伊那市を流れる天竜川。その伊那市分の最後の橋が「母猿の身投げ」(『新著聞集』日本随筆大成5)の説話にも登場する「殿島橋」です。
その橋のたもとに写真の道標を兼ねた道祖神があります。高さ1m強、幅30cm弱。天保6年(1835)建立。「右中澤道 左高遠道」と刻まれ、正面に「岐神」と刻まれています。
  『古事記』によりますと、黄泉の国から何とか逃げ帰ることができた伊邪那伎大神は筑紫にて禊をします。そのときに「投げ棄つる御杖」から衝立船戸神、「投げ棄つる御褌」から道俣神などが化生した、とあります。

  こちら、 辰野町下田の集会場の前にある道祖神。「八衢毘古」「八衢比売」二柱の神の名と「ふなど(こちらは「土」偏に「支」の字)の神」の名が刻まれています。高さは、見たところ1.5m位か。双体道祖神の男女二神のお名前は、「やちまたひこ」さんと「やちまたひめ」さんなのかもしれません。