中国に泰山(Taishan)という有名な山があります。といっても、私は中国生まれとはいっても小学校に入学する年の前に日本に来ておりますし、以後、中国に行ったこともありませんので、名前しか知りません。
その世界遺産でもある「泰山」の名を冠した「泰山木」。中国の原産である、とばかり思っていましたが、なんと北米中南部原産であるとは、思いもよりませんでした。
その泰山木の花が、勤務先の近くの民家の軒先で、次々と花を開いています。ところが、その花のすぐ近くをいつも通っている人たちにその花のことを聞いても、知らない・・・、気づかない・・・、と答えが返ってきます。
気品があって、しかも大輪の花なのに・・・・・。
なにか、花どころではないのかしら・・・・・今のニッポンでは・・・・・・
2012年6月26日火曜日
2012年6月25日月曜日
井上井月終焉の地碑
伊那市美篶末広地籍に、かつて小さな祠と写真のような、井上井月と種田山頭火の句碑がありました。一昨年、道路の拡張工事の際にこの敷地の大部分が削られ、と共に句碑も忽然とその姿を消してしまいました。(こちら2006年1月に写したもの)
たまたま、会社の同僚にその話をすると、「それならうちの敷地にあるよ」というので、出勤前に出かけることにしました。元の場所には、新しい祠と鳥居が立てられ、その一つ違いの道を北に入るとすぐに件の石碑がありました。句碑の脇に「俳諧井月終焉の地」の案内標柱が。裏に平成22年12月の日付。
聞くと、確かに昔ここに小屋があり、間違いなく井月終焉の地である、とのこと。車の多く通る道筋から奥に入ったものの、本来落ち着くべきところに落ち着いた、ということなのか・・・・・
たまたま、会社の同僚にその話をすると、「それならうちの敷地にあるよ」というので、出勤前に出かけることにしました。元の場所には、新しい祠と鳥居が立てられ、その一つ違いの道を北に入るとすぐに件の石碑がありました。句碑の脇に「俳諧井月終焉の地」の案内標柱が。裏に平成22年12月の日付。
聞くと、確かに昔ここに小屋があり、間違いなく井月終焉の地である、とのこと。車の多く通る道筋から奥に入ったものの、本来落ち着くべきところに落ち着いた、ということなのか・・・・・
2012年6月14日木曜日
安曇野の双体道祖神(6)
いつも行き当たりばったり。今日も今日とて、「少し時間があるからこの辺りをブラブラしてくるわ」といいつつ、以前神代文字の道祖神があった南豊科駅の近くを歩いていたら、菊の紋章の付いた立派な双体道祖神がありました。
説明によると、高さが165cm、とあります。弘化3年(1846)建立。頭上の菊花紋の意味は、「菊の呪力によって延命や不老を約され、菊はまた「契草」とも言われ、結婚の願望をかなえるものとされた。」とあります。
なかなか重厚な道祖神でした。
説明によると、高さが165cm、とあります。弘化3年(1846)建立。頭上の菊花紋の意味は、「菊の呪力によって延命や不老を約され、菊はまた「契草」とも言われ、結婚の願望をかなえるものとされた。」とあります。
なかなか重厚な道祖神でした。
2012年6月5日火曜日
馬鳴菩薩(蚕神)-5
昨年10月、伊那市福島にある観音堂の蚕神の話を仕事場でしていたら、先輩から「俺の地元だから堂の中に入れてあげる」と、声を掛けられました。
今日、その方の案内で中に入ることができました。先月お祭りがあった、とかのことで、前の時より入口のガラスもきれいに掃除されておりました。堂の中正面に厨子の中に聖観音像があり、その右に蚕神の像があります。
台座正面に波間に富士(?)と松の木が彫られ、「明治17年8月吉辰」とあります。堂内で保存されていたので、彩色も良く残っておりました。
明治時代、富国強兵の掛け声のもと、養蚕を盛んにした心意気を感じます。躍動感あふれる逸品です。
今日、その方の案内で中に入ることができました。先月お祭りがあった、とかのことで、前の時より入口のガラスもきれいに掃除されておりました。堂の中正面に厨子の中に聖観音像があり、その右に蚕神の像があります。
台座正面に波間に富士(?)と松の木が彫られ、「明治17年8月吉辰」とあります。堂内で保存されていたので、彩色も良く残っておりました。
明治時代、富国強兵の掛け声のもと、養蚕を盛んにした心意気を感じます。躍動感あふれる逸品です。
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