佐賀県の武雄温泉に湯桶し、翌朝、楼門の辺りをぶらぶらしていると「←淀姫社」案内板が目に入りました。「ン? 淀姫の神社?」
案内されるままに坂を上り、さらに石段を登って行くと件の石鳥居がありました。
『大日本神明辞書』に「ヨドヒメノミコト 與杼比賣命一に淀姫に作る豊姫とも申す神功皇后の御妹なり。三韓征伐の際干満両顆を得て異国の兇徒を海中に覆没せしめ給う(以下略)」とあります。豊臣秀頼の母親の淀君ではありませんでした。
石鳥居の上奥の石祠が淀姫社で、その右奥にもう一つ祠がありますが、確認しませんでした。近くの案内板によると、武雄温泉(古くは「柄崎温泉」と言ったようです。)に入浴された淀姫が、入浴後に休憩された所だそうです。
石鳥居の横に薬師如来の石仏がありました。前にある狛犬の古さに比べると、如来さんの方に新しさを感じました。近くの案内板によると、元の薬師如来は明治35年11月に鋳造、温泉の守神(鎮守)として安置されたが、昭和17年頃第二次世界大戦の軍用として供出された、とあったので、納得。
石段の下、カーブの手前に小さな石窟があり、六地蔵やらの石造物が雑然と置かれていました。よく見ると下の写真のような二佛の像がありました。他にも唐風の像があり、二佛の像が「司命・司録」像だとすれば、バラバラになってはいるものの、ここに石造の十王像が安置されていたのでは? と思いました。
これは、司命・司録の像?
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