2013年6月26日水曜日

馬鳴菩薩(駒ケ根市の蚕神様)



  駒ケ根市のさらに高台。光前寺の左手、荒れた山付の広い扇状地が「菅の台」。かつて、平安時代の昔には、「東山道」という官道が通じていたところで、『万葉集』に菅の荒野と呼ばれたところ。「天下の糸平」の村としても有名です。



 その駒ケ根市。かつて「赤須村」と「上穂」村という二村が合併して生まれたのが「赤穂村」。現 琴平町にある「弘法様」というお堂を兼ねた集会所の脇に蚕神様が祀られていました。道が拡幅され移転させられたものだと思いますが・・・・・・








  その赤穂と天竜川を挟んで東向い、中澤の菅沼という集落。福岡社境内の蚕玉社という小祠の中に祀られている蚕神様。天保13年(1842)の建立。一面六臂 舟形光背に装飾の跡がありますが風化のためはっきりとはしません。









  これは中澤の最奥、大曾倉という集落の「諏訪社」という神社の前に置かれた蚕神様。
  今 駒ケ根市に含まれていますが、中澤というところは幕藩時代には「高遠藩」の支配下にあったところ。鄙にはあれど隠れキリシタンの遺跡のあるところ。
  高遠藩は、財政窮乏を救うため養蚕を奨励した、とか。
 
  四角く掘った窓の中にさらに繭の形を刳り抜き、その中に女神の蚕玉様を掘り抜く。手の込んだ細工です。明治13年(1880)のものです。