2018年2月1日木曜日

三面大黒天(石造彩色)(安曇野市穂高 矢原)


 昔時伝教大師比叡山開基の時、福神に祈誓し給ふ事あり。我此の山を開きて仏法流布王法長久の祈願相比し、三千の衆徒を住せんと誓ふ。衣食共に乏しくては叶ふべからず。天神地祇此の願を助力し給はゞ、一の瑞を見せしめ給へと、丹誠を抽で給ふ時に、三面の福神忽然として出現する。所謂大黒・毘沙門・弁才天合体の一像なり。大師喜び給ひ、此の像をうつしめんと、即時三体同じ形像に刻み給ふ。
 これは吉田貞吉著『福神研究』という書物に紹介されている『宗祇諸国物語』の一文ですが、普通大黒天というと、石像でも単体像が多く見られます。ところが、安曇野市穂高矢原という所には、上述の文のような「三面大黒天」の像があります。
 矢原公民館の奥、清国庵という御堂の中、青面金剛像の向かって右隣に何ともにこやかな仏さまが刻まれています。頭上には「南無妙法蓮華経」の髭文字の題目。両足で宝珠の付いた米俵を踏み、左肩に大きな袋を掛け右手には打ち出の小づち、と、ここまではいつもの大黒様ですが、右肩に毘沙門天、左肩に弁才天、それぞれに二臂があり、毘沙門天は三叉鉾とを持ち、弁才天は鑰(鍵)と宝珠とを持っています。明治九年丙子年十月足日の記銘があるそうです。
 足日は「たるひ」とよみ、広辞苑によれば「物事の十分に満ち足りた日。よい日。吉日。」という意味だそうです。