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2020年3月12日木曜日

高遠の双体道祖神二題(伊那市高遠町)

歴史散歩?に参加して、高遠町三義の弘明寺に立ち寄り、その寺の御住職のお話をお聞きし、境内を見学しているときに、ふと目に入ったのが、この双体道祖神です。
  10年以上前の話になりますが、この地区の双体道祖神を探し歩き、どうしても見つからなくて近所の商店に入り尋ねたところ、「分からない…」という答えが返ってきました。
  それから、だいぶ時が経ちました。偶然とはいえ仏様の御導きに感謝いたしました。
  この弘明寺は「高く、遠く」ということで、ゴルフ寺としてご利益があるそうです。
  もう一つ、何度か訪れたお寺の跡ですが、高遠町の鉾持神社の西に相頓寺というお寺の跡があります。『伊那神社仏閣記』に「惣頓寺」とあるのがそれだと思われますが、昭和の早い頃に廃寺になったということです。その相頓寺の廃寺跡に芭蕉の句碑があるのですが、句碑を見たついでにうろうろしていると、「犬棒」ではないのですが、写真の双体道祖神に行き当たりました。裏面に「なかよし」と刻んでありました。

2019年11月11日月曜日

よく見ると双体道祖神


  伊那市手良蟹澤という集落に「産泰宮」という 小さな社があります。『民間信仰辞典』によると、「産泰様」というのは、「埼玉県西部・群馬県を中心に分布する子授け・安産祈願の対象となる神」とありますが、この手良という地区には、ここともう一ヵ所「中坪」という集落との二ヵ所でこの産泰宮をお祀りしています。何故この手良地区に産泰宮が祀られているのか。それは、江戸時代、手良から旅稼ぎに行った石工が勧請したのではないか、と言われていますが、詳しいことはわかっておりません。中を覗くと、向かって右側に木造の小̪祠、左に乳幼児を抱いた地蔵菩薩が安置されています。
 この産泰宮の裏手、民家へと続く道の入口の所、左の写真はグーグル・ストリートの写真ですが、中央あたりに見える大きな石、その表面に微かに二体の人物が見えます。
 




 『伊那市石造文化財』という本にも紹介されておらず、何度となくカメラ持参で行ったことがありますが、今回初めて気が付きました。風化して誰も気づかなくなってしまったのか……

 カメラに収め、家に帰って何度となく見ても、双体道祖神としか思えません。もしそうだとしたら、今まで気付かなくてごめんなさい……



 左の写真は、「産泰宮」に安置されている地蔵菩薩です。「産泰宮」のお祭りについては、
   http://www.kagakueizo.org/create/visualfolklore/515/
に動画があります。

2014年11月14日金曜日

箕輪町の双体道祖神⑤ (長岡大門・新田)

今はダムの湖底に沈む長岡新田。周辺が整備され紅葉の名所とも知られるようになりましたが、その長岡新田の集落の氏神様、新田神社の下に老夫婦(?)が手をつないでいるような姿の双体道祖神があります。竹入弘元氏は、
「二人はその土地の人々即ち建立者自体をモデルにしたかに見える。朴訥そのものの働き者といった感じの男。ややほっそり顔に、優しさ、芯の強さを秘めた女。晴れの日を迎えて微笑をうかべている二人ですが、苛酷な労働、厳しい生活のかげがにじんでおり、苦難に耐え抜いて来た生活者の深い人間味を感じます。」と、 評しておりました。言いえて妙だと思います。

  こちらの双体道祖神。上の男女とは好対照の御顔をしていました。傍らに明治29年銘の文字道祖神があります。
長岡から長岡ダムへと続く道、県道442号線。長岡集落から左カーブしながら一旦下り道になるのですが、そのあたりが大門という小字の場所。そこに明治33年銘の馬頭観世音碑と並んで建っていました。「願主子年女」と刻まれています。女性はふくよかな面立ちのお顔です。

2014年10月16日木曜日

駒ヶ根市の双体道祖神③ (中沢)

本曽倉 地域の集会所横石垣の上に蛇神様の文字碑とともに置かれていました。享保2年(1717)本曽倉村中、とあります。
   中沢の一番奥の集落。以前は駒ヶ根カントリークラブというゴルフ場があったのですが、今は営業しているのかどうか。
  ともあれ、この集落の神社の石段の左脇に馬頭観音などとともに置かれています。
中曽倉に二体あるうちの一体。銘はありません。文化8年(1811)銘の月待塔とともに置かれていました。
中曽倉のもう一体。「八木」というあたり。山肌に如意輪観音や文字塔などとともに置かれていました。
中山 竹の沢に至る「旧道」を登ったところの石垣に挟まれる形で置かれています。 天保3年(1832)のものだそうです。

下割の協議所の庭にあります。「子連れ」の道祖神として慕われているようです。何とも簡素な表現です。
菅沼の常秀院というお寺の参道にある双対道祖神です。向かって左の神様の手に、何か丸いものを持たされています。
中割 大津渡橋の近くの田圃の土手に建てられています。南に背を向けているので、どうしても逆光になります。

2013年5月31日金曜日

駒ケ根市の双体道祖神 ②(竜西 赤穂地区)

駒ヶ根市北割北柏木 柏木橋の脇 庚申の文字碑や青面金剛像などと、西駒(木曽駒ケ岳)をバックに建っています。天明8年(1788)の像。 
中割南方 浅間の辻という所。ちょうど信号機の柱と並んで西向きに建っていましたので、残念なことに逆光になってしまいました。風化が進んでしまい、手を握っているのは判りますがそれ以上ははっきりしません。
南割 湯原の辻。天明元年(1781)の像。いずれも僧形ですが左の像は頭巾のようなものをかぶっているようにも見えます。   
下平の観音寺という堂の境内で見た道祖神。頭頂部と左部とが損壊し、かなり激しく風化しています。ここには、市指定文化財の十王像があるようですが、堂内に安置されているため、見ることが出来ませんでした。
同じ下平の長春寺という天台宗のお寺の門前にあった像です。こちらは、『駒ヶ根市の石造文化財』にも未収録のものなので、最近の作なのかもしれません。
市場割。大御食神社の近くの辻に建っています。享保15年(1730)の像。手に笏様のものを持っているようにもみえるのですが。赤穂地区では一番古い双体道祖神です。
JR飯田線 小町屋駅の近く。津島様の境内にあった双体道祖神。明和4年(1767)のもの。風化していて持物はよく分かりません。


  ほかに、個人宅の物も数体あるようですが、「路傍にあっての道祖神」ということで、写真にするのは遠慮いたしました。

2013年1月3日木曜日

宮田村の双体道祖神 ③

北割 長谷川橋の辻
  残念なことに建っている向きが概ね北向きですので、絶えず逆光になってしまいます。平成12年(2000)頃に現在地に移動された、とのこと。
北割 集落センター東
  享保18年(1733)の双体道祖神。
北割
  平成4年(1992)。まだまだ新人です。
北割 井ノ口の辻 「万歳!」をする道祖神
  面白いことに、男神女神とも両手を上げて「万歳!」をしています。信州人が集うと、最後には必ず万歳三唱で締める、とのこと。昔からそうだったのか……?










北割
  風化が激しく、ところどころコンクリートでの補修の跡があります。

2013年1月1日火曜日

宮田村の双体道祖神 ②

南割 庚申原の辻
  多分近在の庚申塔や石碑が集められたのかもしれません。コンクリートの上に整然と並べられた群の中にありました。男神は旅姿の合羽のようなものを羽織っています。中央に 剣の形の浮彫があり日付が彫ってあります。
新田 上の宮 
  三叉路に数体の馬頭観世音と共にありました。 風花が激しく、一部コンクリートのようなもので補修の跡があります。
南割 
  南割集落センター近くの交差点を南に下った三叉路の藪の中に隠れるようにありました。
新田 
  西部広域農道沿いの行者橋の辻。役行者像などの中に建っています。風化のため明瞭ではありませんが、両神とも合掌しているようです。
南割 
  集落の中の若干狭い道沿い、西向きに立っていました。隣に小さな祠があり、中に観音様と思われる石仏が安置されていました。

2012年12月29日土曜日

宮田村の双体道祖神(長野県上伊那郡) ①

宮田村立宮田小学校入口左側に観音堂というお堂があります。中を覗くとたくさんの観音様が安置されていました。その観音堂と通学路の間の石垣の上に、あちらこちらから集められたと思しい石碑石仏群がありますが、その中の一体がこの双体道祖神です。
ほのぼのパークという公園の入り口にあった男女の子供の像です。平成10年の作。
大田切という集落の集会所の近くにあった双体道祖神。風化のため容姿ははっきりとはしませんが、台座の石の大きさに圧倒されました。
  道祖神の裏のお宅の御老人が、秋の日差しを受けながら「お葉」を洗っていました。
旧道をさらに奥に進んでいった右手藪の前に元文5年(1740)の双体道祖神。台座に天狗の団扇みたいなものが浮き彫りされています。

2012年11月18日日曜日

辰野町の双体道祖神(14) (上辰野)

上辰野堀上竹原の双体道祖神。 上部に日・月の彫刻。明治6年(1873)のもの。
堀上荒井の双体道祖神。 明治6年(1873)のもの。
堀上中邑の双体道祖神。竹原や荒井と同じく上部に日・月が彫刻され、明治6年(1873)のもの。
羽場崎の双体道祖神。上の三体とは異なり日・月の飾りはない。顔も若干童顔である。
堂村の双体道祖神。上部に線彫りの日・月の装飾がある。明治5年(1872)のもの。
甘露井の双体道祖神。男神・女神とも持物が他の道祖神とは違う。明治13年(1880)のもの。男神は木の枝のようなものを手に持ち、女神は房ような物が付いたものを持っている。

2012年11月14日水曜日

辰野町の双体道祖神(13) (宮所~小横川)

国道153号線、「小横川橋」の南側、側溝を挟んで田圃側に建っていました。 上に日・月。男神が女神の肩を抱く祝言の形。明治20年(1887)だそうです。にこにこして、いまにも踊りだしそうです。
小横川下村の双体道祖神。残念ながら、いつも日を背に受ける向きで建てられていました。
小横川中村の双体道祖神。上部に日・月。
小横川上村の双体道祖神。こちらは肩組み握手の形。

2012年11月10日土曜日

辰野町の双体道祖神(12) (川島②横川川に沿って)

門前北村という集落の川に架かる橋の西、石垣の上にあった双体道祖神です。明治22年(1889)のもの。
門前北村の「西組」という銘のある双体道祖神。上部に日・月の文様があります。
これも門前にあった双体道祖神。寛政3年(1791)のもの。
門前の上流、川上という集落の「木曽沢」というバス停の横にある元禄3年(1690)の双体道祖神。
上の双体道祖神の後に、隠すかのように置いてあった双体道祖神。男神が盃を、女神が酒器様のものを持っているのがわかります。
   その川上のはずれ伊良沢公民館の裏に置いてある双体道祖神。
横川川の最奥、源上という集落の旧道脇にあった、祠の中に納まる双体道祖神です。
同じ源上の道祖神場の隅にあった男女が合掌している形の像。是も双体道祖神だと思いたいのですが……