2011年10月17日月曜日

伊那の蚕神様-4

伊那市福島の観音堂に、彩色を施された立派な蚕神様があるというので、出かけました。県道をそれ、集落をいったん抜け、さらに集落に入りかけると二間×三間位のお堂がありました。お堂の外に大小数個の石碑、像らしきものは見当たりません。幸い、堂の南面にガラス窓があります。中を覗いてみると、向かって西側に件の石像がありました。馬に乗る蚕神です。ガラス窓越しにストロボを焚きました。様子はわかってもらえると思います。
明治17年のものだそうです。






次に向かったのは、野底という所の野底神社の境内。神社向かって左側に新調の祠があり、蚕神が安置されています。建立年不明。












車に戻る途中、ふと見上げると桜が咲いていました。根元に「十月桜」の立札。年に数度咲く「四季桜」に亜種でしょうか。珍しいので写してきました。











ちょうど県道19号線沿いでもあるので、上牧という集落の氏神である八幡社に立ち寄りました。これも社殿向かって左に新調の祠があり、傍らに説明板がありました。大正年代に有志により祀られた、とあります。祠は平成11年の再建、とありました。

2011年10月14日金曜日

辰野町の双体道祖神(5)

辰野町平出下町、法性神社へと続く道脇に、石碑・石仏群の中にたっています。上部と下部が欠損していますが、日・月が残っているのがわかります。享和4年(1804)の建立。男神と女神が手を握り合っています。











平出旭町の二十二夜様にある二体のうちの一つ。上部が欠損して有りません。風化も激しく、僅かに体の部分が浮き出ているくらいです。












同じく平出旭町の二十二夜様にある二体のうちのもう一体。こちらは天明6年(1786)の建立。辰野の町部にある双体道祖神のうち、建立年がわかるものの中では、もっとも古いものかもしれません。男神女神が肩を組み手を握り合っています。光背上部に御幣が刻まれております。

2011年10月3日月曜日

伊那の蚕神様-3

中央道伊那ICを下りて右にとり登ることしばし、大萱交差点の斜め右角のスポーツ広場の一角、少し小高くなったところに間口一間半位の覆屋があり、その中に木造の祠がある。覗くと石像が二体安置されています。覆屋にもしっかりした格子戸がはめ込まれており、さらに中の祠にも格子がありました。かつて、よほど石仏の盗難が多かったようです。









その中の一体には舟形の光背があり、もう一体には光背はありません。『伊那市石造文化財』によると向かって右丸彫りの方が安政5年(1858)8月、向かって左光背のある方が安政6年(1859)2月の銘があるとのこと。井伊直弼が大老に就任したのが安政5年4月、安政の大獄が始まるのが同年の9月、大変な嵐が吹き荒れているときでした。









残念ながら、二重の格子があって女神様のお姿を間近に見ることができません。件の『伊那市石造文化財』所収の写真のコピーで我慢しました。昭和55年(1980)6月15日撮、とありました。覆屋はまだできていなかったのかもしれません。また、今とは像の配置も異なります。文化財として整理する頃の写真かもしれません。