2010年12月27日月曜日

is03 au

 「is03」も使い始めてから一ヶ月となりました。特に不調ということもなく、それなりきにバッテリーのもちの悪さも送られてきた予備バッテリーがあるので、我慢することができている状態。
さて、有効画素数約957万画素の効力を試すべく、愛用のカメラを忘れたふりをして出かけました。晴天に恵まれ、池が程よく凍っており、木曽駒ケ岳が微笑んでくれました。その時の一枚、カメラと同じ、というわけにはいきませんが、携帯だったらいいほうかな・・・・・
常時カメラを持参しなくても、間に合わせには使えそうな感じです。

2010年12月9日木曜日

雪の朝

昨日そして今日と、朝方に少し雪が降りました。写真は今朝のものですが、昨日のほうがこれよりも少し多めだったかもしれません。日中の寒さは今日のほうが寒かったようです。
この寒さの中、同じ市内に小熊が出没した、という連絡が入りました。普通ならもう寝てるんではないの・・・と思いながら、そういえば買い物帰りに通り過ぎてきた辺りでは・・・
餌が少なくて眠れないのか。眠らなくても過ごせるほど、冬が温かくなったのか、人間だって少しづつ、知らず知らずに変わってきているのかもしれません。

2010年12月8日水曜日

is03 au 

11月26日、予約しておいた「is03」がついに届きました。スマホです。スマートホンです。二週間がたちました。
私の携帯は、IDOから始まり、auひとすじ。実は、iphoneもほしかったのですが、個人的にはSバンク嫌いということもあり、職場でいじっているのを横目で見て我慢していました。それに、なんといってもガラパゴス・ジャパンがすきなのです。
Eメールだって、オサイフ携帯だって、Cメールだって何だって、ガラパゴス・ジャパンは便利じゃないですか。その便利さがそのままスマホにつくのですから、これはもう使ってみるしかありません。
とりあえず、自作の縦列駐車のアニメーションを入れて、仕事に使っています。今までの携帯と違い、コマ数を上げることができるので動きがかなりスムーズになりました。
少し色々試してみようかと思っています。

2010年11月30日火曜日

庚申阿弥陀

伊那市の東のはずれ、合併する前は長谷村といっていたところ。溝口という集落に熱田神社と呼ばれる社殿がある。拝殿の奥、覆殿の中に本殿があり、豪華絢爛な消息が施され国の重要文化財にも指定されている。こちらをご覧ください。   http://www17.plala.or.jp/jincya/atutajinja.html

さてその社殿の傍らにいくつかの石碑があるのだが、中に一つ、なぜか仏様ようの石塔がある。
 蓮華台の上に猿がおり、さらに阿弥陀様。光背の上、左右に雲上の太陽と月。
阿弥陀様も雲に乗り、来迎する形。
青面金剛とも違う庚申信仰の形を見たような気がします。しかも、神社の境内に安置されていることに驚きました。同時に、うれしさも覚えました。内心快哉。

2010年11月26日金曜日

双体道祖神(長野県上伊那郡辰野町樋口)

県道19号線樋口の信号と山際の信号との間、上り坂に向かって右側に「道祖神場」がある。ほとんどが「庚申」と刻まれた文字碑であるが、それらの中央にほかの碑に比べると小さいが、男女が肩を組み握手をしている道祖神がある。
雲の上にでも立っているのであろうか。建てられた年代は不明である。

2010年11月22日月曜日

馬頭観音(伊那市長谷溝口原)

旧長谷村。国道152号線溝口集落に入る橋のすぐ下に道祖神場があり、双体道祖神の向かって右側にたっていました。はじめ、お地蔵さんかなと思ってよくよく見たところ、頂上にあったと思はれる化佛の欠けた跡があったので、多分馬頭観音だと思います。
風化と苔で細かいところはよくわかりませんが、お顔は丸顔で体つきもふくよかです。
右肩に「二月吉日」の文字は読み取れますが、いつのものかは分かりません。

2010年11月21日日曜日

キウイフルーツ

藪のように見える枝からぶら下がっているもの、キウイフルーツです。
もともと、10数年かそれよりもかなり以前には人が住み、手入れがされていたキウイの棚ですが、今は常時住む人がいず、たまに管理する人が来るくらいの家の庭。
特に珍しくもなくなった木の実とて、収穫する人もいません。
花が咲き、実を付け、そして萎びて行く。毎年の繰り返しです。

家から住む人がいなくなる・・・・・

田舎町の秋は更けていきます。

秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉

隣に人が住んでいればこその話です。

2010年11月19日金曜日

法華堂

伊那市の地図を見ていて以前から気になる場所がありました。その場所は、日影の「新子」という所です。「新子」と書いて「によし」とよむのですが、それが何故「によし」なのか分からないのと、もう一つ、大きな寺院があるわけでもないのに、「法華堂」という建物があるのが不思議でした。
ということで、昨日法華堂を探しに行ってきました。間口4間奥行3件位。「春林庵新子法華堂」とありましたが、中に人が住まわれている様子もなく、おそらく地域の人たちが管理しているのではないかと思われました。
 「薬師堂」とか「地蔵堂」とかはよく目にするのですが、法華堂というのは初めてです。
江戸時代に、「身延講」というのが流行りましたが、その人たちが集会に使った建物なのでしょうか?                    

2010年11月14日日曜日

花畑の双体道祖神

高遠城址公園の紅葉祭りを見に行こう、とて、歴史博物館の駐車場に車を止め、いつもと違う道を行こう、と、目の前の急な石段を登ることにしました。
高遠は山城ですから、どの道を行っても平らな道はないのですが・・・・・
さて、土産物店の間の石段を登ること十数段。民家の庭先におかれた道祖神。なかなか今風のお顔立ちですが、しぐさに幼さを感じ微笑ましかったので一枚写してきました。少々敷地に足を踏み込んでしまいましたが・・・・・

2010年11月12日金曜日

高遠城跡公園の紅葉(ミノルタさんへのお願い)

9日に行ってきました。信州高遠城址公園の紅葉狩り。「桜雲橋」という橋の下から見上げると、生憎の曇り空でしたがとりあえずは納得。







今度は同じ場所を上から見たところ。
仕事で写しているわけではないんだから、と、納得。

何年か前に友人が、購入したけれどしっくりいかない、という理由で買ったまま使わなかったコニカミノルタの最初で最後のデジカメ。気の変わらないうちにと、早々にいただいたまま、何年も使わずにいたのを持ち出して出かけました。
画素数500万画素。今ではおもちゃの様なカメラですが、それでも、ミノルタファンの私としては名機であると思っています。

ミノルタさん。もう一度カメラを出してくれませんか。

2010年11月8日月曜日

下古田の双体道祖神(2)

蓑輪町下古田、県道203号線沿いの北の沢と呼ばれる辺り、草むらに隠れるようにして高さ50cmばかりの双体道祖神がある。
破風の一部は欠け、風化して男女とも顔姿も定かではないが、おそらく頭部髷をあげているのが女神であろう。年代はわからない。

2010年11月2日火曜日

紅葉が始まりました

秋を求めて近くの公園へ。
カメラ片手の女性が一人。
あゝ、そういえばこの人、去年もここにいた人かも知れない・・・・・
などと思いながら、歩を進めると突然、陽を受けて輝く楓が一本。
まだ、全体に紅葉には早いのかな、と、思いながら、しばし探索しました。

2010年10月29日金曜日

恵比寿・大黒

国道153号線箕輪バイパスを南下、新竜神橋を渡り伊那市に入ってすぐのところに「柵立」と呼ばれるところがあります。地籍は「野底」という所です。そのいわれについては、案内板があります。







案内板です。









さて、その柵立の近く棚沢川に架かる橋を「ふるさと橋」と呼びますが、見事な大黒様と恵比寿様が橋の擬宝珠代わりの飾りに飾られています。それぞれ3体づつ計6体。
よく探すと車を止めるところもあります。また、上の写真の中央あたりに句碑もありました。

箕輪田中城

国道153号線箕輪バイパスを走っていると、「田中城」という名前の交差点がありますが、かなり注意して見ているのですがそれらしき遺構がありません。
  そんなわけで、たまたま少し道を外し天竜川の堤防寄りに入ったところ、「田中城址」と刻んである石碑と、案内板がありました。



付近は、天竜川の河川の跡。田畑が広がっていたところに新しく道をつけ、郊外型パチンコ店やショッピングセンター、そして工場。件の城跡も工場の敷地になるところの一部をかろうじて残したに違いありません。土塁跡がわずかに残っていました。
『上伊那町村誌』には、次のような記述があります。

【田中箕輪城墟】東西三町南北三町、本村の内三日町の未申の方にあり。東は天龍川、其他三方は深入の沼田なり。昔時箕輪左馬介義房住之、嫡箕輪左街門尉義雄文安二年丑三月十六日卒。子孫箕輪左衙門尉義久、天文十三年武田信玄に降る。其子箕輪大膳義成、小笠原貞慶に随ひ、青柳峠の合戰に討死す。其養子を箕輪左衛門尉と云、天正十年七月武田勝(圖解在下段)頼滅亡の後保科越前守正直、徳川氏へ降る実効の手始に攻落し、是より飯田城附たり。毛利秀頼、菅沼定利居之同十八年青表紙検地あり、永銭を石高と改め慶長六丑年小笠原秀政の家人、田中箕輪城に移居す。其後慶長十七年木下へ遷移す。今外堀、木戸口、城安寺古町、町田等の地名のみ存せりo


  図は、『上伊那町村誌』所載の城跡図です。

5012年6月18日更新

2010年10月12日火曜日

庚申三猿

 金沢街道と杖突街道とが分岐するところに、諏訪社という小さな社がある。その社の鳥居下両脇に数基の石碑があるのだが、中に写真の庚申碑がある。
 碑面上部には七言の詩が、その下に文が刻まれているが、風化のため判読できない。
 詩は一書によると次のように刻まれているという。
   「七種妙供清浄身
    人々禁(欠)守庚申
    夜深陣々春風寒
    去々三尸何処隣」(『高遠の石仏』より)
    
 さらにその基部に三猿が刻まれているが、「見ざる、言わざる、聞かざる」の定番の形ではなく、少し変わった形である。

 向かって右の猿が手にしているのは果物でもあろうか。中央の猿は木の枝か何かの上に居り、左右とも地面に尻をついている。見ていると動きがあり、何とものどやかな彫刻ではある。

2010年10月1日金曜日

青面金剛像

 少し秋晴れなのと、気温も穏やかなのに誘われて、車で出かけました。メインは双対道祖神を撮ること。
 高遠の藤沢地区。御堂垣外という小字の諏訪社という社の入り口に坐す「青面金剛像」。
 一面四臂。右上手には宝珠、下手には蛇、左上手に鉾、左下手に羂索を持つ姿。二鶏三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)。上部に雲上の日月、光背には火炎らしきものも見える。
 延宝8年(1680)正月の銘。風雨に耐え、お顔立ちもかなりはっきりとした像である。

2010年9月27日月曜日

庚申塔

 杖突街道の藤沢北原集落の入り口に、数基の石碑があるが、中の一基、明暦2年(1656)銘の庚申塔がある。
 長野県上伊那地方にある庚申塔の中ではもっとも古いものであるといわれている。
 明暦2年は丙申の年で庚申年ではないが、申年ということで建てられたのではないか・・・・・

2010年9月22日水曜日

安曇野の双対道祖神(1)

 娘が安曇野に住むことになったので、妻と二人新居のアパートに出掛けました。お昼を食べに行こうということになり、娘の旦那の運転で出発するとすぐ目にとまった道祖神。「止めて、止めて!」と一枚二枚、写したのが左の道祖神。天保4年(1833)銘の像。
 大きさは80cm×80cm位。台座が1m位の堂々とした像です。女神は跪き右手に酒器を持ち立ち姿の男神の右手を握っている様子。男神の左手に持たされているのは笏のようでもあります。





 昼食も終わり、「ちさと美術館に行こうよ」、と妻が言い出し、それではとかねて念願のちさと美術館へと向かう途中、止めて、止めてと写したのが彩色が施された道祖神。場所は穂高上原というところ。消防の火の見をバックに道祖神、青面金剛とうの石造物が数基。
 文政7年(1824)銘の彩色道祖神。互いに肩を組み、手を握り合っている姿も微笑ましく見えます。






  その隣、こちらは文政7年(1824)銘の青面金剛像。足下に「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿。上部に日月。一面六臂。左上手は輪、左下手は弓、右上手は棒、右下手は剣であろうか。










 美術館の所在地松川村に入るとすぐ、「止めますか?」「お願いします」で写したのが大黒様と並ぶ道祖神。







 こちらは天保11年(1840)銘の雲に乗り肩を組む男女の姿。男神は左手に盃を持ち、女神が右手の酒器で酒を注ぐ形。

2010年9月3日金曜日

青曽大権現

 カメラ片手にウロウロしていると、たまに不明な石造物に行き当たることがある。
 以前、「雨虫大明神」なる自然石半肉彫りの石造物を紹介したが、昨日、またまた写真の石碑に遭遇した。
 正面中央に「青曽大権現」と彫られている。明治7年の建立。願主は卯年女とある。
 青曽大権現 とは如何。
 場所は長野県伊那市蟹沢という集落の路傍。
 不思議な名号である。

2010年8月16日月曜日

卵の中に卵

 少し遅く起きた娘が
「お父さん! お父さん! 卵が! 卵が!・・・・・」
と 久しぶりに大きな声で言うので、何事か、と 台所に行くと
今しも、目玉焼きにしようと割った卵の中に、なんと、鶉の卵くらいの大きさの卵が入っていました。
 デジカメに撮り、PCに取り込み、台所に戻るとくだんの卵は娘のおなかの中へ・・・・・
 「どんな味だった」(父)
 「普通にタマゴ」(娘)

 くだんの卵。盆前の12日に車で20分ほどの火山産直市場で購入したものです。
 何かいいことがあればいいな・・・・・。

2010年7月23日金曜日

蝉の誕生?

 朝のうちに庭の草刈りをしようと思い、刈り払い機を動かしているときは気が付きませんでした。
 しばらくして、たばこを吸いながらふと見ると、木の枝に何かぶら下がっていました。脱皮したての蝉です。風の吹くままクルクルと回転しているではありませんか。







 余計なお世話かもしれませんが、殻の横に持ち上げてやりました。
 一時間ほどたってから行ってみると、蝉の姿はなく、近くで鳴き声がするばかりです。
 もしかしたら・・・・・・・

2010年7月18日日曜日

ねじ花

 何年か前の夫婦の会話。
 「ねェ、最近『ねじ花』を見かけなくなったわね、昔はあちらこちらに咲いていたっていうけど・・・・・」
 「なんだいそりゃ。」
 「茎みたいのがあって、らせん状に小さい花がねじったように咲いているのよ。」
 「そんな花、見たこともないよ」
 「そう・・・・・」

 今日、場内教習の際、信号待ちで周囲を見ていたとき、ふと目に留まったのがこの花。芝生の隅に一株花をつけていました。これは・・・・・
 家に帰り、wikipediaを見ると、なんと「ねじ花」に相違ありません。ラン科、別名「モジズリ」というそうです。この辺りでは「ねじり花」とも呼ばれています。
 しばらく見ていても、ほっとするほどの可愛い花です。

2010年7月6日火曜日

馬頭観音像


 伊那市高遠町長藤弥勒  国道152号線を杖突峠から下ってきて高遠の町に入る手前、今年2010年に開通した新道と旧道の分岐するところに二十数基の石碑と石仏が安置されています。ガードレールのかげになり、注意しないと通り過ぎてしまいますが・・・・・
 石造の多くは馬頭観音像ですが、聖観音や地蔵様などがあります。多くは江戸時代のものですが、大正時代のものもあります。


 こちらは、嘉永5年(1852)の馬頭観音像。











 明和9年(1772)の馬頭観音像。

ガクアジサイ

 梅雨の季節の贈り物、というと「紫陽花」です。
 「紫陽花」というのはまったくの当て字だそうで、もともとは違う花のことのようですが、それはそれとして、全国いたるところに「紫陽花寺」とか紫陽花の名所があります。
 自宅の庭でも一株、数年前生協の通販で購入した「ガクアジサイ」が咲きました。手入れが悪いので何とかしなければと思いながら、それでも毎年嫌がらずに花をつけてくれます。
 セイヨウアジサイもきれいですが、ガクアジサイの楚々とした姿が好きです。

2010年6月25日金曜日

十王堂(伊那市西箕輪羽広)

弘仁7年創建と伝えられる、羽広山仲仙寺。山門をくぐって少し登った左手に、茅葺のお堂があります。「十王堂」です。










内部に、閻魔王を中心に十王像。その後ろに六地蔵像が安置されています。なかなか恐ろしい顔をした閻魔像です。

2010年6月24日木曜日

奪衣婆

人が死ぬと三途川の川岸にたどり着きます。この川を渡るのには六文銭が必要なのですが、もしこれを持たずに来ると、亡者の衣服が剥ぎ取られてしまいますしまいます。この冷酷な仕事をするのが「奪衣婆」です。一説では閻魔王の妹ともいわれています。
奪衣婆が衣服は樹上にいる懸衣翁に渡され、懸衣翁の手により木の枝にかけられ、その重さにより死者の罪の軽重をはかるといわれています。
写真は、伊那市高遠町的場にある十王像のうちの「奪衣婆」です。苔に覆われているので彫の部分も定かではありませんが、おどろおどろしい表情ではありませんか。

2010年6月23日水曜日

十王像(伊那市高遠町的場)

 十王像
 十王は冥界の十王のことをいい、秦広王・初江王・宋帝王・伍官王・閻魔王・変成王・泰山府君・平等王・都市王・五道転輪王のそれぞれの王が、人の死後の忌日年忌に順次裁きを行うとされています。
 この辺りでは、この十王に地蔵菩薩と倶生神(あるいは人頭杖)を加え、石にあるいは木に刻んで十王堂に、また村の境の路傍に安置し信仰してきました。
 写真は、伊那市高遠町的場の旧公民館裏に集合された石造物群の中にある十王像です。盗難から防ぐために、鉄のゲージの中に収められています。それぞれの高さは約20㎝。湿気の多いところですので、像の表面は苔むしています。

2010年6月5日土曜日

孤独な雉

恋の季節も終わり、多くは卵を抱えている頃、たまに遅れてしまったオスがいます。
メスを捜し、繁殖期の色で飾り
周囲から目立つところをウロウロ・・・・・
ひと鳴きしては、キョロキョロ

話は変わりますが、
鳩山さんの最後の一言はひどかった。
曰く「国民が聞く耳を持たなかった・・・・・」
逆のような気がしますが。
今度の人は大丈夫でしょうね・・・・・
一人で、ウロウロ、キョロキョロなんてことにならなければよいのですが。

2010年5月19日水曜日

箕輪町上古田の馬頭観音

信州箕輪町上古田集落の外れ、きれいに整備された展望台があります。中央アルプス木曽駒ケ岳、南アルプス、八ヶ岳そして伊那盆地。
周囲にラベンダーも植えてあり、少々休憩にはもってこいの場所です。
その傍らに、文字碑も含め22体の馬頭観音が安置されています。
コンクリートの台座は、なんとも風情を損ねますが、心無い人による盗難から守るためにやむをえないことかとも思います。

2010年5月10日月曜日

「辺戸岬にて」


 2010年5月3日、朝日新聞「天声人語」欄に船越義彰の「辺戸岬にて」という詩が紹介されていた。
 実は、私は沖縄の詩人というと山之口獏しか知らなかった。無性に読みたくなったのでネットで検索し、『沖縄文学全集』という書籍があることがわかりました。これもネットで検索し、とりあえず、件の詩が収録されている巻を購入し、今日手元に届きました。
 学生の頃、「沖縄の歌」も歌いました。今になってみれば、普通の日本人だったような気がします。
 徳之島の町長さんが「軍縮という観点で基地の問題を捉えねばならない」と言っていました。日本に、沖縄に、本当に基地が必要なのか。そのあたりの議論がないのでは、と思いました。

2010年5月9日日曜日

雨虫大神

伊那市長谷尾田屋南辻に不思議な石像があります。「雨虫大神」文字が刻まれ、蛇と蛙を彫ってあります。この雨虫大神の碑は、他にこの近くに文字碑が一基あるだけです。
近くの人に聞いても「雨虫大神」の信仰について知っている人もいません。
本当に不思議な石像です。








  この尾田屋集落のもう一方の辻にある「雨虫大神」の碑です。前述のとおり自然石に文字のみの碑です。この他にも、「秋葉大神」の神礼を収める塔などがありますが、ここに集合されているのはなぜかすべて文字碑でした。
「雨虫大神」とは、本当に不思議な神様です。ちなみに『長谷村の石造文化財』(長谷村教育委員会、平成9年刊)という、およそ長谷村(現伊那市長谷)にある石造物をすべて網羅していると思われる書物にも、この神の名はこの2ヶ所に見られるのみです。また、直近の高遠町(現伊那市高遠)や伊那市にも見られません。

2010年5月6日木曜日

石楠花

 異常な寒さとともに桜の花が散り、一転暑い日が来たと思ったら、石楠花の花が咲いてしまいました。いつもなら、蕾が大きくなり、今にも咲き出そうとする頃合いなのに・・・・・
 花が咲く、というのは決して悪いことではないのですが・・・・・
 朝のコーヒータイムでの話し。
 「俺たちが生きているうちは大丈夫だろうが、孫のころには、地球はどうなるんだろうね・・・・・」

 本当に大丈夫かしら・・・・・。何か大変なことになっているような気がするのですが。