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2017年12月24日日曜日

若一王子神社の双体道祖神(長野県大町市)

風花の舞う小寒い日、大町市にある「若一王子神社」に行きました。ここは鎌倉時代に、この地を治める仁科盛遠が紀州の熊野権現に祀る「若一王子」を勧請して以降、「若一王子神社」と称されるようになった、と案内板に書いてありました。境内には三重塔や観音堂があり、神仏習合の姿が今に残っている、ということだったので、以前から行って見たいと思っていた場所でした。
  グーグルマップを頼りに、何とか到着。立派なトイレがあったので、先ずは落ち着いてから…
  ん? トイレから少し離れた所に、三つの石柱。向かって右から「庚申塔」・「青面金剛像」そして古式ゆかしい「双体道祖神」。建立年は解りませんが、庚申塔の側面には「寛延二己巳十一月」と見て取れる文字が、寛延二年というと1749年、徳川家重が将軍の時です。しばらく境内を散策しました。

2017年12月18日月曜日

常念道祖神(長野県安曇野市)

2017年12月の初め
  日付は忘れましたが(あるいは、11月末のことかもしれません)、中日新聞の長野県版(?これもうろ覚えです)のコラム欄に、「常念道祖神」が紹介されていました。耕地整理のため撤去されるかもしれない道祖神が、地主の行為で存続が図られた、という内容だったと思いますが、たまたま安曇野に行くことがありましたので、機会を狙いました。
  というのも、一日目は終日の曇天、二日目は午後からの晴れ、せっかく晴れても逆光になってしまいます。そこで三日目に期待しました。
  朝は濃霧…
  もしかしたら… と期待しながらグーグルマップのナビを頼りに現地(?)へ。なんと!! すでに工事が始まっているではありませんか…… 
  邪魔にならないように 恐る恐る道祖神の前に立って 何とか写すことが出来ました。今年一番の収穫です。
  それほど古い時代の物ではないと思いますが、左の小ぶりの物の方が先の建立ではないかと思います。
  工事の喧騒も忘れ、しばらく見入っておりました。

2012年6月14日木曜日

安曇野の双体道祖神(6)

いつも行き当たりばったり。今日も今日とて、「少し時間があるからこの辺りをブラブラしてくるわ」といいつつ、以前神代文字の道祖神があった南豊科駅の近くを歩いていたら、菊の紋章の付いた立派な双体道祖神がありました。
  説明によると、高さが165cm、とあります。弘化3年(1846)建立。頭上の菊花紋の意味は、「菊の呪力によって延命や不老を約され、菊はまた「契草」とも言われ、結婚の願望をかなえるものとされた。」とあります。
  なかなか重厚な道祖神でした。

2012年2月5日日曜日

安曇野の双体道祖神(番外編)

長野道下り線 梓川SAの小高くなった展望台に柱状の道祖神が据え付けられていました。
こちら、たがいに手を握り合う姿。












女神が酒器を持ち、男神の手にした盃に酒を注ぐ姿。












  笏と扇を持つ姿。













  瓢箪と杯。

2011年11月16日水曜日

安曇野の双体道祖神(5)

  何かついでがなければ行けない、中途半端な距離に安曇野は位置します。したがって、一度におさめることができる枚数も限られてしまいます。
さて、国道147号線「本吉」交差点を東に歩きます。吉野神社、県立安曇野高校の校舎を過ぎてしばらく、右側に赤い屋根のお堂と立派な銀杏の大木が見えてきました。標識に「吉野荒井堂の大銀杏」「安曇野市指定文化財」とあります。
  そのお堂の東向いの四辻にお目当ての双体道祖神がありました。裏に銘があり、天保14年(1843)の建立であることがわかります。











というわけで、今日の収穫に喜び、カメラを構えた人も来たので、とりあえず来た道を戻ることにし、しばらく歩いたところで、田舎でも珍しい小さな郵便局に出会いました。民家の離れのような特定郵便局です。何となく記念に一枚・・・・・

2011年9月25日日曜日

安曇野の双体道祖神(4)

  7月に生まれた孫の初宮参り。8月はお盆月なのでお祝い事は控える、という習慣もありまた余りの暑さなので、ということもあり、今日穂高神社にお参りしました。
受け付けを済ませ、数組の家族とぞろぞろと拝殿に入るその入り口脇に、像高90cm位か木彫りの双体道祖神がありました。









その穂高神社の神楽殿の上で、鶏が遊んでいました。話によると放し飼いになっているそうです。いろいろな説があるようですが、神様と鶏はたいへん縁があるようです。
昔々、天照大御神が天の岩屋戸にお隠れになったとき、八百万の神が天の安の河原に集まって「常世の長鳴鳥を集いて鳴かしめた」(『古事記』)ことから、神社に鶏を放し飼いにしたり、あるいは、時を告げなくなった鶏を、神社に放したりしたそうです(『歴史のなかの江戸時代』)。
この鶏も、神の御使いに相違ありません(?)。

2011年4月9日土曜日

陽石型の道祖神

  「春立てる霞の空に、白河の関越えんと」というわけではありませんが、春に誘われて、はたまた「道祖神の招きにあいて取るもの手につかず」という状態。
  『熊出没注意』という看板を横目にしながら、道祖神探しを再開しました。
  「道祖神」といっても、その形は色々あって、私が育った山梨県の東部では、丸い形をした石が多かったように記憶しています。信州の代表はなんといっても「双体道祖神」。文字道祖神。そして、「奇石」。陽石の形をした自然石を祀ったもの。さらに、男根の形に刻んだもの、などなど、多様な形の道祖神があります。
  写真は、3月26日に安曇野市で写したもの。衣を着て手を前で組んでいるようにも見て取れます。何も考えずにしばらく見ていると、愛嬌があり、癒し効果抜群のような気がします。(「 」内の文章は『おくの細道』です。)

2011年4月2日土曜日

安曇野の双体道祖神(3)

安曇野市の公式ページを見ていたら、「観光パンフレット郵送申し込み」というボタンがありました。何のことやら、と覗いてみると、観光パンフレットを郵送してくれる、とのこと。さっそくフォームに記入し申し込んだのが3月29日の夕方。4月1日にもう届きました。観光を主軸にしている行政の足の速さに驚きました。同じ長野県に住んでいても、我伊那市の遅さに慣れている身にとって、行政の心構えの違いにただただ感嘆です。
さて、前回の続き。
  穂高神社の社域に、「千国街道(塩の道)と道祖神」と名付けられた一画があり、数基の道祖神がありました。左がその案内板です。
以下、写真を紹介します。








肩を組み、酒器を手にする道祖神です。












こちらは、馬頭観音。街道を往来する馬の安全や、斃れた馬の菩提を祈るために建てられました。













肩を組む男女の姿。手にも何か持っていたのかもしれませんが、風化のため良くわかりません。
大正9年(1920)建立。




































これも風化のため良くわかりません。























こちらは、平成6年(1994)に群馬県安中市の道祖神を模倣して建てた、とあります。

2011年3月28日月曜日

安曇野の双対道祖神(2)

  娘の帯祝いというので、久しぶりに安曇野に行ってきました。世は挙げて引っ越しシーズンなので、恐る恐る高速に乗りましたが、それほどでもなく、時間通りに着くことができました。
  昼食を取り、奥さんが「昼寝・・・」というので、一人カメラ片手に外に出ました。
   付近をうろつくこと暫し、なんと大きな道祖神。畳二畳分は優にあろうかとも思える程の文字道祖神です。弘化4年(1847)の建立。



   







  写真中央 双対道祖神。こちらは弘化3年(1846)の物。









さて、珍しいのがこの道祖神。「阿比留文字(神代文字だそうです)」という文字が刻まれているそうです。ガラス張りのケースの中に納まっていました。傍らに説明版があり、その字体を見ると何となくハングルのようにも見えました。









2010年9月22日水曜日

安曇野の双対道祖神(1)

 娘が安曇野に住むことになったので、妻と二人新居のアパートに出掛けました。お昼を食べに行こうということになり、娘の旦那の運転で出発するとすぐ目にとまった道祖神。「止めて、止めて!」と一枚二枚、写したのが左の道祖神。天保4年(1833)銘の像。
 大きさは80cm×80cm位。台座が1m位の堂々とした像です。女神は跪き右手に酒器を持ち立ち姿の男神の右手を握っている様子。男神の左手に持たされているのは笏のようでもあります。





 昼食も終わり、「ちさと美術館に行こうよ」、と妻が言い出し、それではとかねて念願のちさと美術館へと向かう途中、止めて、止めてと写したのが彩色が施された道祖神。場所は穂高上原というところ。消防の火の見をバックに道祖神、青面金剛とうの石造物が数基。
 文政7年(1824)銘の彩色道祖神。互いに肩を組み、手を握り合っている姿も微笑ましく見えます。






  その隣、こちらは文政7年(1824)銘の青面金剛像。足下に「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿。上部に日月。一面六臂。左上手は輪、左下手は弓、右上手は棒、右下手は剣であろうか。










 美術館の所在地松川村に入るとすぐ、「止めますか?」「お願いします」で写したのが大黒様と並ぶ道祖神。







 こちらは天保11年(1840)銘の雲に乗り肩を組む男女の姿。男神は左手に盃を持ち、女神が右手の酒器で酒を注ぐ形。