2015年4月24日金曜日

桜本地蔵尊(伊那市羽広 仲仙寺)

  文政13年(1830)の春頃、というからおよそ200年くらい前、伊那を流れる天竜川を利用して「通船」という物流事業が開始されたという(『上伊那誌』歴史編による)。この事業は、休船等の紆余曲折があったものの、明治30年代までは続けられていたようです。その船着き場があったといわれている場所が、現伊那市坂下の入舟という所。
  さて、伊那市羽広に仲仙寺という天台宗の寺院があり、本来60年に一度の秘仏本尊の御開帳を、創建1,200年の記念年に当たる今年に日を限って特別御開帳を行う、というので妻と同道で出かけました。
  山門手前に地蔵堂があり、以前は目にしなかった急ごしらえの(ラミネート作りの)案内板が設置してありました。「要旨」とあり、以下の文章が記されていました。
  伊那町の入船の舟問屋に、みめうるわしい生まれつき口のきけない”おなみ”という女がいました。女が12歳の時、母の枕元に定期的に参拝するようにとのお告げがありました。町からお寺まで54町、翌朝から母娘連れだって1日も欠かすことなく参拝。満願の日、強風と小雪が吹き付け身が凍えるばかり、娘が「かあさん寒いよう」と母の体にしがみついた。母は「お前、今何と言った。」と女を抱きしめ、お地蔵様の前に泣き伏した。舟問屋ではお地蔵さまのおかげと感謝し、お地蔵さまも寒くないようにと三河木綿の着物に厚い綿を入れて作りきせたという
  見ると、お地蔵さまが二体、一体は石造の「桜本地蔵尊」、もう一体はそれより小ぶりで木造の「青空地蔵尊」と命名されていました。

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